紺色の傘の内側は晴れ

梅雨の長雨

 

わたしは基本的に、叙情的に物事を捉えたり、色んなものに意味を見出したりすることに悦を感じるタイプで、「エモそうで深そうなこと」を見出せる人に憧れを抱いている節があるのですが。

 

雨の日って、やっぱり面倒!濡れるし

 

エモさ目当てに雨も好き!って言ったこともあるけど、27歳になった今、やっぱり出掛けるには晴れがいいなぁと思うし、雨の日は極力外に出たくないなぁ。

 

雨が好きって言う人って、なんかエモくないですか。みんなが嫌いって言うものに対して、良さを見付けて楽しんでいる感じが。

 

そこでわたしも考えてみた。

 

雨の日を楽しくするには、新しい傘を買うこと、景色がキラキラして見える音楽を聴くこと、室内でとてつもなく楽しいボードゲームをすること、お料理をすること、水たまりを眺めること、読んでなかった漫画を読むこと。

塀に張り付いたカタツムリを見付けること。大きな水たまりを踏まないゲームをすること。たまには長靴を履いて水たまりにザブザブ入ること。

 

お子はすごいなぁとおもうけど、あいつら雨の日も楽しそうなんだよな〜

いいなぁ〜先生は靴も靴下も濡れるから全然楽しめないよ〜

 

そもそもお子は何もない校庭でウン時間平気で遊べるからすごい。

いつの間に変わっちゃったんだろうなぁ。

 

 

そうそう雨の日といえば、この間お父さんが、ずっと欲しかった逆に開く傘を買ってきてくれたんだけど、ウキウキして持って出かけた初日に八高線に置いてきたんだよな。

 

無いゾ!!!

 

って気付いた時には、あの傘とわたしの相性がすっごく悪かったか、離れ離れになる運命だったのかもしれないと思ったけど、駅員さんに聞いたらスッと出てきて、そこからは仲良し。

 無くさないに越したことはないけど、これからは無くしても出てきそうで可愛い。

大事にする。

 

仲良しの人とも、1回仲直りできたら何回喧嘩しても仲直りできそうな気がする。

喧嘩はしないに越したことはないけど‼️

 

相変わらず人に恵まれて生きている。

うちの職場のM本御大と結婚式ラッシュが来てるんです〜っていう話をしていた時

 

「そんなにお呼ばれするってことは、深い繋がりの友達がたくさんいる証拠だよ。友達を大事にしてきたんだね。」って言われて、すごく嬉しかったなぁ。

 

みんな、お呼ばれ嬉しいよ。

ありがとね。

 

友達と話してても、仕事、上司、転職、恋人、家庭、子供、家・・・なんか内容が大人になったなぁと思いつつ、その時々に合った興味を一緒にもって話ができるのはいいなぁ。

一緒に大人になっている感じがGOOD

 

斯くいう私も、異動が近付いている。

多分今年やって、あと1年やるかな。そしたら、今のところじゃないところへ異動して、また新たなスタートだ。

 

自分のキャリアとか人生設計とかより、今まで一緒に仕事をしてきた先生方がいなくなっちゃったり、離れ離れになっちゃうのが寂しいから、みんなには異動してほしくないし、みんながいなくなっちゃうならわたしも一緒に異動したい。

 

同期のK保は結婚を機にスッと異動してったし、T村はT村で自分の考えがしっかりあって。なんかなぁ。わたしだけ取り残されてしまうなぁ。

でも、そういう時期に入ったということだ!わたしの人生も!

 

2年後私は何してるかなぁ。異動先はどこになるかなぁ。新しい生活が始まっているんだろうなぁ。

 

新しい生活といえば、ついに実家を出ることになって。

一人暮らしの先輩方(わたしのダチのみなさん)に買っといたほうがいいものとかをとにかく聞いて、インスタグラムの #一人暮らし部屋 をめちゃくちゃ見ている。

 

わくわくするのは初日くらいで、あとは寂しくて毎日泣いているかもしれない。あんなに(面倒だ‼️)と思ってた家族にもすぐに会いたくなりそうだ。

 

何事もチャレンジ!

がんばれわたし!

 

それにしても、一人暮らしをするよと伝えてから(帰りが遅い日が続いたり、友人宅に泊まったりしていたのもある)母がまともに口を聞いてくれない。娘がそろそろ出ていくんだから、円満に送り出してほしい。

わたしは口聞いてくれないお母さんのことは嫌いだけど、それでもすごく好きだもの。話をしたいのに。

 

かと言って、お母さんが望むような生活は出来ないというか。

親子は難しい。少し距離が必要な気がする。

 

27歳の悩みになったなぁ〜

 

 

 

東京ハチミツオーケストラ/耳鳴り-チャットモンチー

 

花丸の海へまっすぐ

おはようございます。

 

コロナの休校から早3ヶ月。

うちの勤務校は、週に1度の登校日を設けて、課題を配布したり回収したりしています。

 

週1でも、うちのクラスのお子たちの顔が見られるのは嬉しい。最高に可愛いし。(「砂時計」の2巻かなんかで杏ちゃんと大悟の遠距離恋愛が始まって、バイト代で貯めたお金で東京まで会いに来てくれた大悟のことが前より格好良く見えてときめくみたいなかんじです。)

 

週1しか学校に来ないと、先生に会うのも友達に会うのも(多分凄く楽しみだったくせに)恥ずかしいみたいで、ちょっとみんなそわそわしています。

とりあえずうちのお子はみんな元気そうです。

 

まあこんなにコンスタントに登校日が始まったのは5月半ばになってからで、3月と4月はほとんどお子に会えなかったんだよ。

会えなかったんだけど、会えない期間に、クラスの子から、うちに手紙が届いたんだよ!3人から!

 

それはもう愛がこもった、すんばらしい手紙だったよ。「大好き」って、いっぱい書いてあった!(お子は、“この人イイ!”っていうのを表すのに基本『大好き』しか語彙がないのが可愛い!そのまままっすぐ成長してくれ!)

 

嬉しかったからお返事を書いたんですが、自分で言うのもアレだけど、私が小学生だった頃、担任の先生から来た年賀状とかって凄く特別で、嬉しかったんだよね。だから、その子にとっても、宝物になればいいなと思って、またつらつらと(小2に読める量をと思ったけど思いが募り過ぎて便箋2枚に文字びっしりになってしまった。お子ごめん。)

 

後日談でお子の母から、「先生から手紙が来るまで何日も何日も朝昼ポスト確認しに行って、やっと来た手紙を玄関のところに座って何回も読んで嬉しくて泣いて、2年生になったら担任の先生は変わっちゃうのかなぁって言ってまた泣いて、今は宝箱に大事しまってあります。」だそうです。なにそれ〜〜〜愛しい〜〜〜〜

 

でも、なんか良かったなぁ!手紙が届くって!

今は携帯があるし、LINE、ツイッタ、インスタとか、SNS〜!!!ってかんじで、小・中・高・大・バイト先・職場、知らない人とだって繋がれて、こんな事態で会えない友達と、テレビ電話で飲み会だってできてさ。すっごいよ。なんでもできちゃうもんね。

 

そういう便利な世界が当たり前すぎて忘れたけど、子供はそうはいかないんだな。SNSなんかやってないし、携帯だって持ってない。でも先生には会いたい!

だから手紙だったんだろうなぁ(持ち上がりの学級だったので、1年生の時に「年賀状送りなさいよ!」って住所を渡してあったのが良かった!グッジョブ!)

 

覚えたての漢字を使った平仮名ばっかりの手紙だったけど上手に書けてたし、何より気持ちが伝わった。頑張って書いてくれたんだなぁって、愛しくなった。

 

会えないから手紙を書こうっていうその発想が良い。大人になってしまった私には無かった発想!

 

手紙のなにが良いって、形に残るし貰って嬉しい!(字から声がするかんじ!)

大学生の頃に書いたずうっと前の記事で書いたな〜手紙っていいなって。自分で書いたことすら忘れてたけど前からいいなと思ってたんじゃん。

 

どんなにSNSが発達しようと、手紙って文化は無くならないだろうな。無くなって欲しくないな。

 

そういえば今はボールペン字を練習してるんだけど、癖字が抜けなくてあんまり上手に書けない。頑張って書いても、わたしの字っぽくないんだよな〜当たり前だけど。ボールペン字で綺麗に書いた字からはわたしの声はしないかもしれない。それはちょっと寂しいな。

 

ここ最近、前よりずうっと忙しくなくなってさ。夕方とか夜とか、一人でぼうっとしてる時間が増えて、前よりいろんなことを思い返すようになった。

 

人間っつうのは、8割昨日と同じことを考えて生活してるんだって。

わたしは思い出の中に居るな。ずっと。どうしようもない(自分の中でとてつもなく大切になってしまっている)思い出の中!あとすっごいお粗末で不毛な妄想の中!

 

だめだめ!って思うけど、いつも自分からそっちに思考を持ってっちゃうのよね。結局そこが良いんだろうなぁ!わたしの場所じゃないのに

 

このあいだね、今年異動で入ってきた女の子にね、福生駅にちょいちょい落ちてるパンの話とおたまじゃくしの話をしたのね(クソみたいな話をしてごめんK米さん)

そしたら「ちょっとした日常を楽しめるのって凄く良いですね」ってね、褒めてもらったの、すごく嬉しくて。多分K米さんはどうしようもない先輩の話を上手くまとめようとしてくれたんだと思うんだけど、やっぱり嬉しかったの。

 

26歳になっても、褒められたり認められたりされるのって嬉しいの。

26歳になっても、嫌なこと言われれば腹が立つし、喧嘩すれば不安になるんだよ。

 

わたしはよく失敗するんだけど、なんでも正直に伝えればいいわけじゃなくて、言葉には会話には受け取る相手がいるってことを忘れちゃいけない。

 

受容と共感なんてよく言うけどホント大事だよ。そうだよね、わかるわかる、それって辛いよね。そうだよね、わかるわかる、それ面白いよね。って言ってもらいたいんだもん。みんな気持ちいいほうが絶対いいなぁ。

 

前にも書いたけど、不幸なことにわたしは頭に思いついたことは全部口にしなきゃ気が済まない質なので、我慢をしたり言葉を選んだりすることに力を使わなきゃいけないんだってことに今更気付いたんです。

前言われたな、そういえば。わたしのいいところ。「良くも悪くも素直なところ」だって。よく見てくれてありがとう。多分何度か傷付けたんだろうな。ごめんね

 

最近は「ブラックガールズトーク」っていう漫画の、ストーリーテラーじゃないけどそういう、主要の3人のことがすごく嫌いで。

身近にいる「ヤバイ人」、まあパワハラやらモラハラやらをしてくる上司とか近所の人とか友達の彼氏とかの話をその主要の3人のうちの一人が「そういえばこんな人がいて〜」って話し始めるんだよね。

んで最後はそのヤバイ人が周りから見放されて終わり。みんな迷惑被ってたからスッキリした!って感じに流れて終わるんだけど、なんか腑に落ちなくてね、こう、多分似てるんだなぁ。自分と。女子会で人の悪口言ってる時の空気。人の不幸は蜜の味じゃないけどさ。すっごい 楽しいんだよ。楽しいけど、側から見たらいいもんじゃないよな〜〜〜〜

 

それを自覚してるかしてないか、それだけでちょっと違うはず。言い聞かせるようにこんなこと言ってても、全部ブーメランみたいに、自分のとこへ返ってくる言葉たち!わかってんだよ性格がひん曲がってることなんて!

 

ほんとはそういうことで人を下げたり自分を上げたりしたくないよ。シンプリーの歌詞がグサグサ刺さる夜です

 

 

シンプリー/歓声前夜 -SUPER BEAVER

蛙の子、孵らず

冬が終わる。また春が来るね。

 

今年の桜は時期が早くて、卒業式には間に合わず、入学式には散ってしまうような微妙な咲き方だったけど、勤務校の正門の枝垂桜は卒業式の日に綺麗に咲き誇って、子供達の門出に良く映えた。

 

最近の小学生の卒業式では、女の子は袴を着る子が多いのですよ。3年前はびっくりしたけど、もう慣れたな。(階段で転ぶしすぐに着崩れるから正直やめてほしい。)

 

一生に一度の卒業式ですから、大人も子供も気合が入るのは大いに分かる。

今年は、その「一生に一度の卒業式」ですら、あるかどうか分からなかったり、無くなってしまったり。大変な騒ぎになっていて、教育現場も毎日変わる状況にバタバタしている次第です。

 

出来れば、子供達も、大人も、みんなみんな心も体も健康で、上手に事態が収束してくれればいいなぁと思うけど、いつまで続くのやら。そろそろ他人事じゃ居られなくなってしまう感じがする。ニュースもSNSも、どこもかしこも暗いニュースばっかりで嫌になっちゃうな。

 

上野動物園のシャンシャンが産まれた時みたいに、「シャンシャン、すくすく成長」とかそういうニュースでいっぱいになればいいのに。

 

まぁ話は変わるんですが、うちの小学校に「心の池」っていう、メダカが居たり金魚が居たりする楽しい池があるんです。

3月頭くらいかなぁ、ヒキガエルが3匹くらい来ていて、心の池の中に蛙の卵がどんどん増えていったときがあったんだよ。

学童さんのお子を午前だけ預かってる時、休み時間は、お子とずっと蛙と蛙の卵を観察してたんだけど、ありゃすごいんだ。

 

透明なチューブみたいな、どこまでも長い長いゼリーみたいな物の中に、黒いツブツブが所狭しと並んで、多分数千は産まれるんじゃないかっていうかんじだったんだよね。

 

「こりゃ、心の池じゃなくて、蛙の池になるな!!!ガハハハ!!!」なんて言ってたんだけど、まぁ結局産まれなかったんだよ。おじいちゃん先生が、「オスが来なかったから無精卵だったんだろうね」って。

 

なんだ、そういうこともあるのか。と思ったんだよね。

新しい命が産まれるっていうことにすごくワクワクしてたけど、あんなに卵を産んだけど、産まれないこともあるんだって。

うちの地域はカラスが多くて、ヒキガエルなんて格好の餌で、手が無くなっちゃってた子もいたし、死んじゃったのだっていた。

 

池の中に、「おたまじゃくしになりたかったもの」がたくさん沈んでいて、それも悲しかった。

卵を産む数が少ないほど、しっかり成長できる確率が高いっていうか、まあ人間なんかは1産んだら1育つから、2も3も同時に産む必要がないっていうか、そういうのを聞いたことがあるけど、蛙はあんなに産むんだから、ちゃんと産まれてこられたり、大人まで成長できる確率は低いんだろうなぁ。

 

生き物の生き死には、すぐ近くに転がっていて、自分が直接手を下しているものも少なからずあるでしょう。

なんか、そういうことに敏感でありたいなぁ。

 

職場の先輩と、特性についての話になった。

職業柄、多動とかLDとか、そういう子たちは見てきているけど、自分はどうなんだろう、私たちにも特性があるんですかねって。

 

職場の先輩が言うに、「言い方は悪いけど、人類みんな障害者」らしい。

みんな何らかのやりづらさとか特性を抱えて、どうにか上手くやってるんだって。

 

わたしなんかは、明らかに注意散漫、多動、思ったことはすぐに口から出したいタイプで、2年前にもってたアスペルガーの男の子にそっくりだ。(このお子、めちゃくちゃ問題児だった)

 

話をしてた先輩に、先輩の特性ってなんですかねぇって聞いたら、「俺は多分、理由があれば人を殺せるんじゃないかって。そういうところだと思う。」って言ってた。とってもクレバーな普段を見ているだけに、立派にネジがぶっとんでいてびっくりした。わたしには絶対むりだ。

 

やまゆり園の事件の犯人に死刑判決が下された時に、被害者の家族の人たちのコメントが出てたんだよね。

 

「私たちが望んだ判決が出て良かったです」

 

なんかよく分かんなくなっちゃって。確かに凶悪な事件で、たくさんの人を殺してる犯人なことには間違いないし、家族を傷つけられたり、亡くなってしまった大事な人のことを思うのも分かる。分かるけど、なんだか違和感が残った。

 

人を殺した人は、殺されていいのか。

死刑を決めた人は人殺しにはならないのか。

被害者の人たちは、犯人に「死ね」って思っているわけで、それは結局犯人のしたことと同じにならないか。

 

倫理なんてことは説かれてもよく分からない。そんなの道徳で学んでない。どっちの味方するとかそういうことじゃないけど、どっちにも味方しないとしてね、結局何が正解なんだろうなぁ。

 

わたし以外の人ももしかしたら感じる感情なのかもしれないけど、自分でそこに辿り着いたから、これはちゃんとわたしの感情だ。

 

だからって悪いことをした人を庇うとか、罪は償わなくていいとか、そういうことを言ってるんじゃなくて、なんか変だなぁって思ったことを、ちゃんと残しておきたい。

 

みんながみんな楽しく生きていける方法ってないんだろうか。

あの人を殺すより面白いことをしよう。

 

 

私/Same Thing -星野源

雨の音 25時

大好きな友達が結婚。

旦那さんのお仕事の関係で、半年後にイギリスに発つとのこと。

 

結婚の報告を聞いた時、嬉しい反面、寂しい気持ちになって、ひどく落ち込んだ。

頭は真っ白で、ガッチガチの表情じゃ「おめでとう」って言葉にも気持ちが籠らなくて、涙が出そうになるのを我慢した。

 

大学の友達とも、もう7年の付き合いだって。

25にもなると、やっぱりみんな大人になって、同棲したり、結婚したり、子供ができたり、どんどん遠いところへ行っちゃうような気がして、心がどんどんすり減るね。

 

大学の時にバカばっかやってたやつらも、一丁前に相手を見つけて、『これから』に向けて着々と進んでるんだから凄いよ。

 

結婚が良いことだとか悪いことだとか、それは人それぞれの感じ方とか考え方によるだろうけど、やっぱりそこに辿り着かないと「幸せ」ではないっていう考えが、なんとなくだけど確かにわたしの中にある。

生きてきた25年間のどこで刷り込まれたのか分からないけど、結局世間の目が気になるのかな。誰も気にしないのに、自分が一番気にするんだよね。ここまで人に必要とされないと、自分が欠陥商品みたいに思えてくるなぁ。

 

この間、3連休を明日に控えた金曜の夜の電車が、0時を過ぎてるにも関わらず通勤ラッシュかよってくらいに混んでいて、

身動きが取れないくらい人が詰め込まれて、酸素も薄くて、

「満員電車うけるんだけど!」とか言って友達と盛れるカメラで写真撮ってる女の人の髪の毛が鼻に当たって痒いし、50代くらいのサラリーマンの男の人は捕まるところも無いのにずっと手を上げて冤罪対策。右にも左にも自由に動けない。足の位置さえ変えられない。

 

そもそも他人とこんなに距離が近いっておかしくないか?

近付きたい人とも上手に距離が詰められないのに、なんで他人と密着しないといけないんだよ。

 

でももしあの時の電車に誰かと乗ってても、少し気まずい思いをしただろうな。

知らない人とくっついてる方が気持ちが楽だったりするんだろうな。

 

さて、話は変わるんだけど、自分が普段使っている言葉というのは、今までの経験の中で獲得しているものらしい。

 

親から、友達から、先生から、聴いてきた音楽から、読んできた本や漫画から、観てきたテレビ番組や映画から。

通ってきた経験が近ければ近いほど、気が合ったり話が合ったりするそうだ。

 

前に、面白いほど気が合う人に会ったことがあるけど、それはそういうことだったんだなって、最近やっと分かった。

趣味嗜好が似ているから経験が近いのか、経験が近いから趣味嗜好が似てるのか、どっちが先なのかそれはよく分からないけど、話をしてる時間がどうしようもなく楽しいから、恥ずかしい話、 “これは……運命?!!!” とかいう感情が浮かんできてしまって、それもまたどうしようもなかった。

まあその人もまた、この先の人生を共に歩いていく人と、『これから』に向けてしっかりと歩き出しているわけで。

あんなにも経験が近い、話も価値観も合う相手でさえ、所謂『運命の人』じゃなかったということだ。

 

つらつらと書いているこの文章も、どこかで得た経験から書いているんだ。もっともっと日本の文学に触れていたら、もっと高尚な文が書けたのかな。

 

アカシック/可愛い連中の理姫ちゃんとか、椎名林檎とか、どうしたらそんな歌詞が書けるんだろう。わたしが幾ら人生をやり直したって、同じものは出来上がらないだろうな。

出来上がったとしても、世に出すか出さないかはその人次第だ。まだ10代だった椎名林檎宇多田ヒカルが世に出たのも、才能を周りが放って置かなかったからだろうよ。

凄いやつはずっと凄い。ズバ抜けた才能っていうのはそういうもんなんだろうな。

 

でももし、そのまま才能が埋もれてしまっていたら、歌舞伎町の女王も正しい街もファーストラブも、誰の耳にも届かなかったと思うと、この偶然って凄いね。必然だった気もするけど。

 

人生を今の記憶のままやり直せたとして、あの失敗も、あの悔しさも味わわずに、成功する方へ、そうなって欲しかった未来の方へ正解を選択し続けられるとして、

そしたらわたしは今のわたしかな。

あの子とは友達になっていたかな。あいつのことは好きになっていたかな。同じ大学には入っていたかな。あの時の思い出は同じものとしてそこにあるかな。

 

これがやっぱりわたしの人生なのか?

しょっぱい思い出ばっかだけど、楽しいこともあるし、大好きな人たちも近くにいるし、まあまあ嫌いじゃない。まあもっと上手くできたらいいなあとは思うけど。

 

グッバイ

 

 

Pretender/Traveler -Official髭男dism

バムとケロと砂時計

このブログ、こっそり更新したら誰か気付くだろうか。

 

久しぶりにログインしてみたら、大学に通っていた頃の機微が事細かに書いてあって、またその時に戻ったような、胸のキリキリがまた再発するような、でもちょっと俯瞰してみられるような、変な感覚になった。

 

でも、金木犀の香りでフジファブリックを聴きたくなったり、雨の日にイヤホンをして歩くと雨の程度に気付けないなって思ったり、(ちょっと例が分かりづらいけど)そういう、その頃にも感じていたものっていうのは社会人になった今も変わらずわたしの中にあるものでなんだか嬉しい。

 

雨の日は未だに Ame(B)を聴いて歩いているわたしだけど、最近はカタツムリとナメクジを探して歩くようにしている。

 

あいつらは古いコンクリートの壁が好きで、湿度でジットジトの日に大喜びで壁にひっついていて可愛い。(大満足で写真を撮る。)

 

塀とかをよく見るようになると、案外と色々なものを見付けられるようになる。バッタもいるしヤモリもいるし、綺麗なお花が咲いてるな、紅葉が鮮やかになってきたな、ここのおうちの苗字はなんて読むのかな、あの人いつも歩くの早いな、とか

 

気にしないでいても別に困らないものを気にかけるようになると、自分以外にも機微があることに気付けるのはすごく良い。

 

というのも、現在社会人3年目、1年生の担任を受け持っていると、子供と一緒に自然を観察したり遊んだり、色んな“初めて”とか、子供の“気付き”を横で目の当たりにしているからかもしれない。

 

齢25のわたしでも、6歳児 7歳児と一緒に自然の機微を楽しむことができるって、結構楽しいし、こう、デスクワークのお仕事よりも健康的な生活をしている自信がある。

 

かといって、楽しいだけの仕事じゃないし、しんど〜〜〜〜〜ってなることばっかりだけど、今のところはまだ全然辞めたいって思わないな。良いことだ。

 

いつだったかの更新で、「このブログみたいなことを学級便りで」、なんて書いた覚えがあるんだけど、

先生の文章ってこんな文章とはまるで違って、あの時やりたかったことはできていないかもしれないんだけど、それはそれで楽しい。

 

学級便りの題名は

1年目は「らしさ」、2年目は「パレット」、そして今は「まっしろ」。(SUPER BEAVERとかポルノグラフィティとかの題名から取っているんだけど、親にはそうは説明できないから、適当にうまいこと理由を付けている。)

 

学生時代からブログやツイッタで文字を打ちまくっていたこともあって、文章を書くのは楽しい。そろそろ次の学級便り出したいな。

 

実は今回このブログを更新するまでに、何度か下書きを書いていて、俗に言うお蔵入りになっているんだけど、内容が暗すぎて自身も読み返すと病む。

 

左ききのエレン」という漫画、凡人と天才が対比的に描かれているんだけど、その中で、主人公の男の子の方が、上司に言われるんだよね、

 

「お前はデザインが上手くなったんじゃない。仕事に慣れただけだ。」

 

ズシーーーーンときたよ。

そうか〜〜!確かにな〜〜〜!!!

 

実質3年目、色んなことを知って、やって、右も左も分からなかった頃と比べると、ちょっとやり方が分かってきて、仕事がしやすくなってきて、心にも余裕が出てきてた気がしてたけど!

そういうことだったか!!!

 

と思ってさ。あの漫画つらいのよ。

わたしはどう足掻いても凡人だし、何かの分野で天才的な能力があるわけでもないから、毎日一生懸命仕事するだけなんだよな。

 

話は戻るけど、溜まっている下書きの中に、1年目2年目の時の指導教官の先生のことが書いてあって、厳しさ100の中に愛がちゃんとある人で、ペーペーでわからんちんのわたしを育てよう育てようって思って背負って背負ってぶっ倒れて、2クラスの学年なのに険悪な時期も長いことあったり、精神的負担もかなりかけていたんだよね。2人ともボロ雑巾になっちゃってさ。

でも大好きだったんだよね。怖いんだけどさ。

 

今、学年が離れてみて、2年間ボロボロの中で教わった価値観とか、仕事の仕方とかが自分の中でちゃんと生きてて、あの2年間ってしんどいっていう言葉でしか言い表せないくらいしんどかったけど、学びがあったんだなあって。

 

出来るだけ色んな価値観に触れて、取捨選択して自分のものにしたい。大好きな人の考えが元になっているものが自分の中にあるのは嬉しい。

 

だから、「左ききのエレン」のセリフはしんどいけど、わたしはわたしなりに、色んなものを吸収して仕事をしているつもりです。

 

考えすぎて自己肯定感を下げて下げてここまできたけど、自分のことは自分が一番甘やかしてあげられるってこのあいだツイッタで読んだから、わたしはちょっとだけ、去年一昨年踏ん張ってきた自分を、今年自分らしさをちょっとずつ見付けて頑張っている自分を、少しだけ褒めたい。

 

楽しい予感のする方へ

 

 

予感/予感 ep -SUPER BEAVER 

home

そうこうしてる間に大学を卒業しました。

学生最後の2ヶ月は馬鹿みたいに予定を入れて、笑って泣いて風邪ひいて、騒いで悩んで、また笑って。

 

振り返ってみてもわたしの大学生活は総じて人との関わりだった。ありがたい。大好きな友達がたくさんできた。沢山話せた子も、沢山遊べた子も、辛い時期を一緒に乗り越えた子いる。苦手な子もいた。話したいけど話せないまま終わっちゃった子も、挨拶だけの子も。

 

友達が多いようで少ないわたしは、友達が少ないようで多かったみたいだった。

慕ってくれる友達、後輩が沢山いたみたいだ。ブワァっと並んでいる。あの、アレみたいに。サマーウォーズの最後のシーンみたいに。

 

一方通行の好きは伝わらない。自分の好きな人にしても、友達に対しても。

一方通行の好きが嫌で言わない、誘わない、話しかけない。自分が相手に必要とされてるっていう確信が持てない。拒絶されたときが怖い。

 

「おまえはプライドが高いから、そういうこと言うんだ」

まえに言われたことがあるな。結構キた。

たしかに、と思った。わたしプライドが高いんだな。

 

人に言われて自分に気づく。こういうところがあるんだ。こういうところがだめなのか。相手からはこう見えてるのか。そこに気づいてくれる人がいるのか。

 

相手からの評価っていうのは、良くも悪くも自分を見直すきっかけになる。自分がなりたい人間像っていうのにはまるでなれてないけど、なれる気もしないけど、位置を測るには重要だ。

 

わたしは自分にすごく自信があるような人種ではないし、歳をとるにつれてどんどん卑屈に、ネガティヴに、あの人からはこう思われてるんじゃないか、今あの人わたしのことめっちゃだるいと思ったな、とかめちゃくちゃ考えるようになってしまった。

 

大好きな子と一緒にいるけど、向こうがわたしのこと嫌いだったらやだなァって、

「今わたしのことだるいと思った?!!」

「思ってないよ(笑)」

って会話をすることで安心してるんだよ。どうか離れないでいてくれ〜〜〜って思ってるんだよ。

 

仲良しの子と喧嘩して、ごめんねって謝るとき。大好きだから一緒に居たいって伝えるとき。

そういう場面に弱い。泣いちゃう。

 

大好きな人たちがいるってだけで幸せだ。

それに加えてわたしのことを好きだって言ってくれる子たちが居て、遊びに誘ってくれる子たちが居て、寂しいよ、ありがとう、またねって泣いてくれる子たちがいるなんてどういうことだよ。

 

ないものねだりだよ。いつも他人が羨ましいの。あの子可愛いなぁ、お洒落だなぁ、高そうな靴だなぁ、旅行楽しそうだなぁ、彼氏とライブとか楽しそうかよクソ とかね。

色々思うことはあるけど、わたしはわたしでそれなりに充実してんだよな。

もっともっとって、あれもこれもってするのも間違ってはいないと思うけど、まずは今の現状をしっかり受け止めて、ありがたいんだぞ、と。感謝すること、感謝を伝えること。

 

人として腐るな、わたし。

全部ここからだ

 

home/SUPER BEAVER -SUPER BEAVER

アルバイトの話

このブログを書き始めてもう1年経つのか

いろんなことを書いてきたけどなんだかんだ根本は変わらないな

 

この前、3年働いたアルバイト先が閉店

わたしにとってはちゃんと居場所だった

 

大学が決まって、高校生の時に始めたアルバイト、某モスバーガーは居心地が心底悪かった

 

チャキチャキお母さん系女店長はシングルマザーで、ことあるごとに当時中学生の生意気デカブツ息子に店を手伝わせた

息子は店長の子供ということにかこつけてバイトの年上を常に下に見た

 

店長は、この子は好き、この子は嫌い でバイトの仕事に優劣をつけた

わたしのようなろくに敬語の使えないお調子者は好かれるか嫌われるかの2択で、仕事もできないわたしは当然後者、仕事もろくに教えてもらえず、「あの子辞めればいいのにね」と店長に陰口を叩かれ辞めた

 

バイトを楽しいって思ったことなんて1回もなかった

(働くってこういうことなんだ、厳しいな)と思いながら過ごした

 

2ヶ月フラフラして、お金が底をついて、働かなきゃ、と始めたバイトがモダンパスタだった

 

動機は不純だった

お客さんにすぐに料理を提供するのは忙しいしアタフタしちゃうからファストフードは絶対やだ

カフェはお洒落で可愛いけど結局作ってすぐ出さないといけない、やだ

お料理運ぶだけがいい

あとドリンクバーがあるところがいい

 

軽い気持ちで電話して、面接

店長からかかってきた採用の電話に飛び上がって喜んで、「そんなに喜んでもらえて良かった」と言われたりした

 

同期は、お洒落な、前髪の短い、小柄な女の子で、共通の友達と共通の趣味のおかげですぐに仲良くなった

 

ディナータイムには仕事が出来て美人な先輩方と、明るくて可愛い同い年の子たち

バイトが楽しくて仕方なかった バイトってこんなに楽しいんだっておもった

 

初めてバイトの子同士で遊びに行った時は、(バイトの友達と遊ぶってこういう感じなんだ〜〜!!!!)って凄くテンションが上がって、モスバーガーの時との差に感動したりした

 

新しいバイトを始める、店長とウマが合わない、社会人になる

いろんなタイミングでみんなが辞めていった

 

気がついたら同い年が居なくなっていて、1個下と2個下が2人ずつ、あとは3つ年下の子たちになっていた

 

あんなに下っ端だったわたしが一番上なんて

どこを見ても年下、キラキラした会話、わたしはわたしなりに働いていたけど、面倒臭い先輩になってるんだろうなとおもった

 

嫌われたってどうだっていいやって、思いたかったけど思えなかった

沢山いる年下たちがちょっと怖かった

 

『前は良かった』って言うのは簡単で、一緒に働いてた先輩たちに「今はこうでね、ディナーのあの子が、パートさんが………」って、「帰ってきてくださいよ〜〜〜」って愚痴ばっかこぼして、「今は今で楽しいですよ」ってわたしあの時言ったかな

 

最終日、閉店して、たった1時間半で食材もお皿も片付けられて、すっからかんの店の中はなんだかすごかった

ホントに終わるんだア、っておもった

 

メニューも呼び鈴も蜂蜜も何も置いてないテーブルには、ダスターで拭いた細かい水滴だけ残った

 

わたしの大学生活と共にあったアルバイト先はもうなくなってしまって、その代わりに何もない休日ばかり増えた

 

バイト連勤きつい〜って言ってた頃のわたしに教えてやりたい 「そこ、大4の1月に閉店するぞ」

 

思い出がありすぎて、逆に状況がよくわからなくなっちゃったよ

こんなことあったなってすぐに思い出せるけど、そのお店はもう無いし、戻りたいなんて言って戻れるような環境じゃないんだな

 

ライブが、授業が、飲み会が、ってしょうもない理由で我儘なシフトを出したり、教育実習と勉強で1ヶ月半お休みをもらったりしても、帰ってくるときにはあったかく迎えてくれて有り難かったなあ

 

店長優しかったなあ、凄く優しかったなあ

 

ここでのバイトでは、朝まで電話で喋れる友達ができた

バーベキューやら鍋やらを一緒にやってくれる優しくて頼れる面白い先輩たちと仲良くなった

曲者揃いのパートさんも、仲良くなったらみんな優しくて、お母さんみたいな安心感があった

なんだかんだで「おびさん、おびさん」って寄ってきてくれる後輩ができた

 

楽しかった

楽しかったしやっぱり寂しいな

寂しいし、ちょっと悲しいな

 

記念写真/TEENAGER -フジファブリック