はためく

教育実習も半分が過ぎた

ここまで長かったようで短くて、多分これからもっともっとあっという間に毎日が過ぎていって、気がつくと最終日 気がつくと教採 気がついたら結果がでてて、嫌でもわたしの人生がどうなるか決まるのね

 

実習、子どもたちは毎日なにかしらのトラブルがあって、「◯◯君が△△君のこと叩いたんだって」「なになに?なにがあったの?」「あのね」「あのね」って、うわさは良くないってこのあいだの道徳の授業で習ったはずなのにすぐに色々知りたがる

 

大人だけじゃないのね、うわさとかそういうのって

もう少し大きくなると先生にさえ告げ口しなくなって、うわさが仲間内だけで回っていくんだ 人間は頭がいいからきっとダメなんだよ

 

教室に置いてある金子みすゞの詩集

なんでか知らんけど一番覚えてるのは「すずめのかあさん」っていう詩

 

子どもが
子すずめ
つかまえた。

 

その子の

かあさん

わらってた。

 

すずめの
かあさん
それみてた。

 

お屋根で
鳴かずに
それ見てた。

 

詩をかく人っていうのは、きっとわたしたちが日常のなかではなかなか感じ得ない切なさとか、喜びとか、そういう感情を誰よりも多く感じ取れてさ

頭の中を覗いたら、きっとすごく深くて、落っこちてしまうような、暗い暗い闇を持ってる人もいるんだろう

そうして感じたことを、その人の持てる語彙のすべてをギュッと詰め込んで表現して、わたしたちはそれを読んで、その切なさを感じて、いろいろ考えて

 

金子みすゞの詩はあったかいのにどこか冷たくて少し怖くなる

 

詩とかを読んで改めて考えると、ひらがなとカタカナを日本人しか使ってないの、なんかすごく特別感あるな

日本語ってすごく素敵な文化だよ 絶対にもっと大切にしたほうがいい

 

知らず知らずのうちについ口に出してしまう「やばい」は、日本人の語彙力を着実に減らしている

美味しいも楽しいもつらいも、やばいで片付くこの風潮は、日本をダメにしていく

 

実習で、言葉遣いに対して少しご指導があって、自分の言葉遣いについて振り返ってみたのだけど、相当汚い どうした

意識していかないとずっとこのままだ

言葉の乱れは心の乱れ、頑張れわたし

 

あのね、何事も、一番になるということはいいことだとおもっていて

それが上からでも下からでも、中途半端な位置よりはずっと自分の位置がわかる

でも上からならもっといいな 好きとか落ち着くとか、たくさん喋れるとか、そういうのの一番ってとっても素敵じゃない?

わたしは誰かの一番になれるだろうか なれてるだろうか

 

22年間生きてきて、友達は多いほうだとおもってた おもってたんだけど、なんかそうじゃないかもしれないって最近

 

T橋とK見の友達観は独特で、本当に親しくならないと友達認定がされない

たくさん喋ってても、あの子は知り合いこの子も知り合い、なんかそういうのってどうなんだろうってすごく不思議だったんだけど

 

わたし自身は2.3回お喋りして挨拶交わすようになったらもう「友達」

でもどれもこれも浅くて、結局本当に仲良くなる子は少なくて、同じじゃんって

 

出会ってきた人はみんな同じ数だけいるのに、本当に親しくなれるのは、ふるいにかけられて残ったほんの一握りだけで

だから22歳になってもまだ一緒になって何かを楽しめる友達がいるってのはすっごい幸せなことだとおもうよ そうでしょう?

 

 

ふうてん/ME SO SHE LOOSE -味噌汁's