三つ並びの鉄棒、水色

人ってのはさ、幸せをこれでもかってくらい感じてるときはそれでいっぱいいっぱいになっちゃうんだよ

落ち込んでるときとか悔しいときのほうが色んな表現ができる、と、思う 思いたい

 

幸せな時でもね、どっかしら不安で、この時間はいつか終わっちゃうのかななんて思って、いまいち浸れない、みたいな気持ち

文章を書くにしても、不安要素はどこかに盛り込まないと筆が進まないんだよ そういうのあるじゃんね

 

自分を正当化するなら、毎日は幸せで楽しいことばっかりだよ

お母さんが作ってくれるご飯は毎日美味しいし、友達とのおしゃべりは楽しいし、卒業論文も思ったより楽しく書けてるし、夜な夜な友達から掛かってくる電話も、ブログ書いてる時間も、好きなバンドのライブも、手帳書いてるときも

 

楽しいことに囲まれてるのにどっかに虚無感、ぽっかり空いた穴をどうしよう(恋人がいないと幸せじゃないみたいな世間の風潮がいけないし、しっかりと負い目を感じるわたしは根本的に弱い人間)

 

いろいろ考えたよ

多分わたしは承認欲求の塊だ そのくせ自己肯定感は低い

ああ多分逆だ、自己肯定感が低いから承認欲求が強いのか

 

認めてよ、必要としてよ、大切だって、ずっと仲良くしてねって言って ってな具合にさア、汚い部分だよ、こんなこと言ってるけど、この考えすらも「わかるよ」って言って欲しいみたいな

ここに居れば安心快適最高〜!って場所が欲しいの

 

よくある話だけど、仲良い子にも仲良い子がいるっていうか、仲良しなのはわたしだけじゃないんだなアっていう、小学校の頃のちいちゃいヤキモチみたいなモノが大人になってもあるなんて思ってもみなかった

 

逆上がりの練習を毎日一緒にしてくれたSちゃん、平日も土日も関係なく遊んで、近所のお祭りも運動会も欠かさず一緒に行って、親友ってまさにコレやで………って思ってたんだよ

5年生でクラス替えがあってさ、また一緒のクラスになって嬉しかったけど、グループが違って

給食の準備をしてる時だったかな、SちゃんとおんなじグループのF野が聞いたの

 

「Sちゃんの親友って誰?」

 

ちょっと聞く耳立てちゃったよ

名前が出ると思ったからソワソワしてさ

 

でもSちゃんはおなじグループに居るM田の名前を言って、隣に居たM田も「わたしもSちゃん好きだよ〜!」って言って笑って、みんなで楽しそうで

 

ああそうか、わたしSちゃんの親友じゃなかったのか なるほど

 

なんていう闇エピソードも今となっては…ってかんじだけど文章に直すとめちゃくちゃ暗いな

しかしながらわたしの居場所はSちゃんの隣ではなかったということは紛れも無い事実として証明されたわけであり、こういう経験がちょっとずつ積み重なってトラウマ的事象になっているのかもしれないし、わたしの「こじらせ」を構成しているのかもしれない

 

そもそも親友かどうかって、片側の意見じゃどうにもならないかんじがするじゃない

22歳にもなって「わたしたち親友だよネ☆(ニッコリ)」なんて言い合うもんじゃないし、なんとなくそうかな、それっぽいかも、ってとこで考えをとどめる他ない

親友なんて線引きを作るからなんか格差が生まれんだよ みんな友達だけどこいつとはよく遊ぶし話も合う、でいいじゃない

 

早速引用するのであれば、よく遊ぶ友達のK下が言ってた、(ハア、そうか)と思ったこと

性格の良し悪しと心が綺麗か汚いかって、必ずしも一致しないんだそうな

 

考えてみればそうだよなア

 

ちょっとくらいクズっぽいほうが仲良くなれたり、こぼした愚痴に共感したり、そういうほうが楽しいじゃん

わたしには、超ド級に性格が良いけどもうめちゃくちゃ心が汚い友達がいっぱいいて、楽しくてしょうがないよ 卒業までに沢山みんなと遊びたいなア

 

あのね、好きなバンドのライブの抽選をかけたんです

ライブは4月末、わたしはその頃なにしてるかわかんないけど、今とは違う環境に置かれてることは確かで、怖いけど、楽しみで、ワクワクするね

ライブっていうツールは、学校を卒業しても友達と会える機会を作ってくれて良いな

 

約束があれば頑張れるし楽しみで生きていけるから、その日が終わったら、また次の約束をしたい

 

 

虚言症/勝訴ストリップ -椎名林檎