ビールと献杯、お花と写真

正真正銘、夏休みがやってきた

世間は例年通り暑い 遊びにバイトに嬉しい忙しい夏休み

 

わたしはというと、つい先日やっと二次面接が終わったので、結果発表まで気持ちがふわふわしたまま毎日を過ごす所存であります

 

教採、友だちみんながおんなじ試験を受けるから、受かったとか落ちたっていうのが露骨すぎてやってられない

 

高めあってきた友だちが二次面接対策の講座にいなかった時、わたしなんかが一次を通ってよかったのだろうかと、共に試験に通った友人と喜んでかんばろうねと声をかけながら思ったりもした

 

わたくしごとすぎる話ではあるのだけど、先日ちいちゃい頃からお世話になっていたおばあちゃんを亡くして、今までおばあちゃんに何をしてあげられただろうかと思った

 

小さい頃こそ近くに住んでたからいつもいつもおばあちゃんちに遊びに行っては美味しい煮物とか漬物とか沢山食べさせてもらって

誕生日には決まってお小遣いをくれたし

お花も生けたし、みんなで何度も旅行に行ったりした

 

孫ってのはホントにじいちゃんばあちゃんの脛を齧るためだけに生きているようなもんだ

 

おばあちゃん孝行出来たなアと唯一感じたのは、2年前、振袖姿を老人ホームに見せに行けた時くらいだ

その日から全く顔を見ずに、おばあちゃんは気がついたら入院してて、気がついたら呼吸器なしじゃ息ができなくなってて、気がついたら死んじゃってた

 

死んじゃう前のおばあちゃんは、振袖姿を見せに行ったときのイメージとはかけ離れてて、体のいろんなところからチューブが出てて、苦しそうに肩で息して、話しかけても返事してくれなくて

生きてる側の人間が、生きてて欲しいって思うからこその形だと思ったけど、こんなに苦しそうなおばあちゃんにまだ生きててよなんて言えなかったから、結局「おばあちゃん、かおるだよ〜!」しか声をかけられなかった

 

式は身内葬だったから、昔からの知ってる顔が集まって、なんだかんだで結構楽しかった

いとこの中で一番年下のわたしは、おにいちゃんおねえちゃんの中で過ごしてきたけど、おにいちゃんおねえちゃんがお父さんお母さんになって、91歳で死んだおばあちゃんの葬式に2歳の女の子が参列して

 

あアわたしも結婚して子供がいたら、おばあちゃんに玄孫を見せられたのに

早いこと結婚して、まずはお母さんとお父さんにありがとうございますと言わないといけないなってめちゃくちゃ思った

 

ちいちゃい子がいるだけでその場が明るくなる

いいなア すごく良い

 

お葬式の日程が楽しみにしてたロッキンと被って、ロッキンに行けなくなった

 

SUPER BEAVERもわんおくもサンボもNICOもグドモも、どれもこれも楽しみにしてたからすごく残念だった

 

行けないってなったとき、おばあちゃんタイミング〜〜〜と思ったけど、お葬式よりロッキンを取るなんてことは出来なかった 仕方ないことだと割り切ってチケットを売りに出した

 

でもやっぱりショックで、イライラして、ロッキンで聴くはずだったアーティストの曲が聴けなくなって、ずっと星野源ばっかり聴いてたらおかしくなりそうで

 

ちょっとでもおばあちゃんとロッキンを対等に考えてたわたしが恥ずかしいけど、でもそれぐらい大きな出来事で、わたしはだめだなア と

 

メンタルがズタボロのときに話を聞いてくれた人たちにはごめんなさいとありがとうを

 

ロッキンを断ってしまったことで迷惑をかけた人たちにもごめんなさい たくさん気を遣わせてしまった

 

みんな優しいから、わたしは生きてるのね

過去にない重さの内容だから読んだらみんな暗い気持ちになってしまうね

 

明日からはサークルの夏合宿、9月も遊ぶ予定がたくさんあるの だから頑張ろう どれも楽しみすぎておかしくなりそうだ

 

こっから始めよう

 

星になりゆく人/未来の始めかた -SUPER BEAVER

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寝苦しい季節がやって参りました 夏でございます

 

この記事を書いている今、2016年7月31日午後10時33分ですが、あと1時間半ほどで8月1日になります

 

8月といえば夏休み真っ盛り

祭りに花火にフェスに合宿に、どでかいイベント目白押しの学生最大の特権となっておりますがそれも今年で最後になるのか 学生でいたい

 

あの夏は色々あったなって笑って片付けられるくらいには大人になりたい

わたしは前に進みたいのに、色んな情景が、色んな曲が、色んな匂いが思い出がわたしを掴んで引っ張って、また帰ってくる

いつまで経ってもここだ 悔しい

 

努力してないやつなんていないよ

みんな、なんだかんだで頑張って踏ん張って今にしがみついてんだろうって思う

頑張った結果がしっかり実る人なんてそりゃ一握りで、全員の努力がちゃあんと報われてたら、悔しいなんて感情ひとつも出てこない

 

わかるよ

努力して努力して、成功も幸せも掴んだ人が、努力すれば幸せって掴めんだって、だからお前も頑張れって、努力してねえからお前は駄目なんだって、そうやって言う気持ちはすげエわかる

わたしも言うもん、こうすれば成功出来るよ、わたしも出来たもん、やってごらんって

 

でも違うじゃんなんか 同じじゃないじゃん

それ以前にわたしが天邪鬼なのかもしれないのだけど、やれって言われたらやりたくないみたいなクソ面倒臭い性格だからなのかもしれないけど、鵜呑みにしてフムフムそうかって聞けるほどわたしは真っ直ぐじゃない

 

なんだろうな、こう、でも、わたしも何もしてないわけじゃないんだよっていうのを根本に置いてほしいんだよ

あたかもお前は何にもしてないだろうってかんじで話を進められるとそれはちげえじゃんってなるんだよ

 

考えてんの わたしも

ぐるぐるぐるぐるおなじことばっか、だけど、考えてんの

 

立ってる状況がちがうの

だからわかんないのなんて当然なの

別の人間なの

 

〇〇ちゃんと似てる〜!って言われることがあるじゃない?言われることがあるし、他の友達に言うこともあるじゃない?

今これは顔じゃなくて中身の話だけど、似てるってだけで同じじゃないよな

会話の間とか笑い方とかテンションとか、ある一部分だけが似てて、あとはちがう

 

(わたしは心底面倒臭い性格だから、価値観が似てて、好きなものが同じで、話も合うやつとひとつでも違う部分を見つけるとなんで???っておもう)

 

あの子と話が合うと嬉しいのに、この子と話が合うのは嫌だったり、やだね

 

やだな

 

ウォーリーヒーロー/DOPPEL -KANA-BOON

君とアルペジオ

考えてる

 

わたしはあの子にもあの子にも気を遣って生きてる

わかんない わかんないけど、そう

 

目立つ子っているじゃない?

格好良いとか、可愛いとか、みんなと仲良くて、気さくで、それでいて真面目だったり、なにかに一生懸命だったり

そういう人たち、もとい、そういう人たちの周りはキラキラしてて眩しい

 

本当に汚い話だけど、その人たちに嫌われたくはないじゃない

嫌われたくはないし、出来れば絶妙な位置を保って、まぁまぁ話すくらいのかんじでいたいとか、そういう気持ちがあるじゃない

 

自分の立場、立ち位置、いろいろ考えて、やっぱり自分が不利になるところには立っていたくないし、そんなこと言える立場でもないし

 

だから、笑うし、話を振るし、聞くの

話さなきゃ、話さなきゃと思うの

何かきっかけがあって前より仲良くなったとしても、癖が抜けなくて、この人にコレを言ってはいけない、飽きられないようにしないといけないって

 

前にA野に、「おまえは慣れると面白くないな」と言われたのをすごく覚えてる

すごいわかる

ひとつ訂正すると、わたしは別に慣れなくても面白くない

 

格好良い人と仲良くしたいとか、可愛い子と友達になりたいとか、そういうのは結局自分の手札として持っていたいということなんだろう 別に友達のことを手札だと思ってるわけじゃないけど、そういう心理が働くことだってあるでしょう

 

人を顔で選んだりしないって口では言うけど、第一印象で飛び込んでくるのは見た目だよ

この人はちょっとなって思う人とは結局中身を知るまでは関わらないし、そのまま関わらずに終わるかもしれないし

 

この人と友達のわたしっていう、ちっさなステータスを振りかざして、日々を生きてる

 

ひとつ上手くいくとすぐに調子に乗るから途端に上手くいかなくなる

人と関わるときも、ちょっとお互い変な感じになって、喋って、元の良い感じに戻ると、すぐしょうもないラインを送ってしまったりするから、まただめになって(語彙力が無い)

 

わたしは別に面白い人間でも特別な人間でもないし、なんなら普通より劣ってて人一倍卑怯で姑息だ

 

改めて文章にすると本当に自分がゴミに思えてくる

自己肯定感を育むためにはやっぱり褒め言葉のシャワーをしてもらうしかないし、係活動を充実させて自己有用感を高めるしかない

 

今日観た「高台家の人々」って映画には人の心が読める人が出てきた

わたしは極度の妄想癖なので普段あらぬことを考えながら過ごしてる 心を覗かれたら多分恥ずかしさで自害することになる

 

どうかそんな能力の人がわたしの前に現れませんように、現れていませんように

 

闇が深すぎて引いてる

今日はあったかくして寝ます

 

 

祭りのまえ/LIFE -フジファブリック

雨に映える紫陽花が

こないだM口とした話、について

『大学を卒業したら連絡を取る友達はいるのか』ということ

 

学生生活、長いことやってきたけど、スクールカーストで言うとBくらいの位置にずっと居て

運動部だったから、なんとなくそこらへんに居たってだけなんだけど、合唱コンクールの実行委員とか馬鹿みたいにやってたりしたから、目立つ仕事もしたりして

だから強めの方々とも、文化部の方々とも、なんだかんだ沢山お話をして、人間関係っていう観点から話をするのであれば、友達は多かったほうだとおもうし、上手にやっていたとおもう

 

小学校、中学校、高校、そしてこれから大学を卒業しようという年齢になって振り返ってみると、わたしには友達がどれだけ居るんだろう

 

中学校のときに「親友だよ」と言って涙で別れたあの子も、高校のときによく電話をしてたあの子も、今となっては遊ばなくなって、連絡を取らなくなって、ツイッタで見かけても読んだふりしてスクロールして消して

 

いま残ってる人たちがきっとわたしの生涯の友人だ、とおもう

 

その学校にいるときはね、居るの、沢山ね

でもまず「卒業」っていうでっかいふるいにかけられて、そこから先はふるいの目が細くなって、どんどんどんどん細くなって

 

せっかく集まっても、継続しないと意味がない

集まった場で未来の話をしないと、過去に引き摺られて「久しぶりに会えてよかった」で終わってしまう

 

『最高最大最愛を、その都度更新してきただろう いつだって今が大事だったんだ』

 

今までの学校生活を振り返っても、わたしは絶対大学が一番楽しい

 

高校に入学するときは中学の頃の思い出なんて超えられないと

高校に慣れてくると中学の頃のことなんて思い出したくもないわと

大学に入学したら高校に戻りたいと

大学の卒業が近づくと卒業したくないと

 

人間ってのは結局今が一番楽しいんだって

きっと自分も成長してて、日々の生活の中の失敗が減るからじゃないかとおもう

嫌な思い出が少ないから楽しいんだよ、ちゃんと進んでんだって

 

大学の友達、学部にもサークルにもそれなりにいるけど、社会人になって忙しいのにさらに地元も遠いとなるとこれは(フラグ)

 

フラグだよなア

 

大切だっておもう人が、いつまでも大切なのに、どんどん薄まっていくかんじ 嫌だね

そういうのは一回でも会えばもとの濃さに戻るんだけど、会うまでが億劫だな

 

サークルの友達の仲良しグループがあって、今でこそ月1で集まれてるけどこの先どうなるのかしらって漠然とおもってて

そのメンバーで毎年誕生日プレゼントの交換をしてて、3人だから毎年順繰りに選んで渡してて

 

わたしは今年K見にプレゼントを貰ったのだけど、そしたら「次おさげにあげるのは再来年だね」って言うんだよ

 

再来年って(笑)って思った

思ったけど、再来年の話を普通にできるのってすっごい素敵なことだなって思った

 

再来年は、大学を卒業して2年経ってて、きっと仕事をしてて

でもなんかそういう、未来のことを話せる友達が大学でもできたのねって素直に嬉しかった

 

そうだね、遊ぼうね

 

 

今/世界が目を覚ますのなら -SUPER BEAVER

はためく

教育実習も半分が過ぎた

ここまで長かったようで短くて、多分これからもっともっとあっという間に毎日が過ぎていって、気がつくと最終日 気がつくと教採 気がついたら結果がでてて、嫌でもわたしの人生がどうなるか決まるのね

 

実習、子どもたちは毎日なにかしらのトラブルがあって、「◯◯君が△△君のこと叩いたんだって」「なになに?なにがあったの?」「あのね」「あのね」って、うわさは良くないってこのあいだの道徳の授業で習ったはずなのにすぐに色々知りたがる

 

大人だけじゃないのね、うわさとかそういうのって

もう少し大きくなると先生にさえ告げ口しなくなって、うわさが仲間内だけで回っていくんだ 人間は頭がいいからきっとダメなんだよ

 

教室に置いてある金子みすゞの詩集

なんでか知らんけど一番覚えてるのは「すずめのかあさん」っていう詩

 

子どもが
子すずめ
つかまえた。

 

その子の

かあさん

わらってた。

 

すずめの
かあさん
それみてた。

 

お屋根で
鳴かずに
それ見てた。

 

詩をかく人っていうのは、きっとわたしたちが日常のなかではなかなか感じ得ない切なさとか、喜びとか、そういう感情を誰よりも多く感じ取れてさ

頭の中を覗いたら、きっとすごく深くて、落っこちてしまうような、暗い暗い闇を持ってる人もいるんだろう

そうして感じたことを、その人の持てる語彙のすべてをギュッと詰め込んで表現して、わたしたちはそれを読んで、その切なさを感じて、いろいろ考えて

 

金子みすゞの詩はあったかいのにどこか冷たくて少し怖くなる

 

詩とかを読んで改めて考えると、ひらがなとカタカナを日本人しか使ってないの、なんかすごく特別感あるな

日本語ってすごく素敵な文化だよ 絶対にもっと大切にしたほうがいい

 

知らず知らずのうちについ口に出してしまう「やばい」は、日本人の語彙力を着実に減らしている

美味しいも楽しいもつらいも、やばいで片付くこの風潮は、日本をダメにしていく

 

実習で、言葉遣いに対して少しご指導があって、自分の言葉遣いについて振り返ってみたのだけど、相当汚い どうした

意識していかないとずっとこのままだ

言葉の乱れは心の乱れ、頑張れわたし

 

あのね、何事も、一番になるということはいいことだとおもっていて

それが上からでも下からでも、中途半端な位置よりはずっと自分の位置がわかる

でも上からならもっといいな 好きとか落ち着くとか、たくさん喋れるとか、そういうのの一番ってとっても素敵じゃない?

わたしは誰かの一番になれるだろうか なれてるだろうか

 

22年間生きてきて、友達は多いほうだとおもってた おもってたんだけど、なんかそうじゃないかもしれないって最近

 

T橋とK見の友達観は独特で、本当に親しくならないと友達認定がされない

たくさん喋ってても、あの子は知り合いこの子も知り合い、なんかそういうのってどうなんだろうってすごく不思議だったんだけど

 

わたし自身は2.3回お喋りして挨拶交わすようになったらもう「友達」

でもどれもこれも浅くて、結局本当に仲良くなる子は少なくて、同じじゃんって

 

出会ってきた人はみんな同じ数だけいるのに、本当に親しくなれるのは、ふるいにかけられて残ったほんの一握りだけで

だから22歳になってもまだ一緒になって何かを楽しめる友達がいるってのはすっごい幸せなことだとおもうよ そうでしょう?

 

 

ふうてん/ME SO SHE LOOSE -味噌汁's

一番星

先日、22歳の誕生日を迎えました
沢山のメッセージ、プレゼント、大変嬉しかったです ありがとうございました

おめでとうって沢山の人からいろんなところから送られてきて、嬉しくて、何かお返ししないといけないとおもって、言ってくれたひとたちの良いところ、好きなところをつらつらと書いて返信をしました

めでたい日なのに1日中アイホンとにらめっこして、一体なにをしてるんだって自分でおもうくらいで
でも、友達の好きなところを書いてると、ああ、みんなのこと好きだなアって、こんな素敵な人たちに囲まれてわたしって生きてるのね最高ってなるから結構楽しかったし幸せってかんじでした ありがとう

とりあえずあと1年誕生日が来ないっていうのがマジパネエ
お友達から戴いた色紙に書いてあった
「もう来年はこうやってお祝いできないから」

そうか これで最後か
大学の子達はもうこれで最後か

きっと会おう会おうとか言って、会えないで、「こないだ」が2年前3年前のことになるんだ

祝われるのはこれで最後だったけど、祝うのもこれで最後って、そうおもうとなんかありったけのものを、とおもう

最後最後言うけど、最後じゃないかもしれないし これから先がどこに繋がっていくかなんて、この空っぽの脳じゃわからない

それこそ高校を卒業してからなんでか遊ぶようになった子とか、あんなにずっと電話もメールもしてたのに1回も会わない子も

会いたいっておもっても間があくとその隙間に沢山の何かが詰まって、いいやって、違うわって
変わってしまったものが妙に憎くて、なんでよ、前だったらこう言ったじゃんノリ悪くない?

そうか、変わったのはわたしか

このあいだ地元の友達と散歩して、公園でお酒を飲んで、色々喋って
その子とわたしは考え方がまるで違って、わたしの言うことは全部否定されるしああもう嫌もうたくさんだこいつとは当分会わないサヨナラとおもってたんだけど

同じようにわたしも否定していたのかな
合わないって切り捨てられたことにイライラしてたのはわたしだけじゃなかったのかななんて今更反省してみたりして

楽しいっておもった場面も沢山あったのに
嫌だっておもったことが先行して全部の記憶をいいように作り変える 都合の良い頭だ

わたしは弱いから進むことも退くことも出来ずにただ現状維持をしている 総てをぶちこわすなんて勇気はないんだよなア

掴まない選択を、わたしは出来るのかな

ホントは嫌なのにヤダって言わずにウンって言って、アハハって、笑って、つくづくわたしは



夏夜のマジック/悲しくなる前に -indigo la End

続けること、始めること

サークルの新入生歓迎ライブを観に行った

このあいだまで1年生だった子たちがこんなに歌えるようになって、っておもうだけでなんだか感動してしまって駄目だ

4年同期バンドは、ずうっと一緒に歩いてきたはずなのに、先輩っていうかんじがちゃんとあって もうわたしたち4年生かって思うばかりだった

思えばわたしが入ったのは1年生の6月、新入生ライブを観たあとだった
もちろん新入生歓迎ライブも観に行ったし今すぐにでも入りたかったけど一緒に入る友達も居ないし、とか、新しい場所に飛び込む勇気も無くて、でも先輩が歌ってたMovin' on without youが凄く格好良くて、ずっとそれが心残りのまま何も出来ないで1ヶ月くらいを過ごした

新入生ライブも懲りずに観に行って、そのときはH田と一緒で、今なら飛び込めるっておもった 後悔するってわたしこのまんまサークル入らなかったら 絶対後悔するっておもってサークルに入った

最初はクソつまんねえ奴らの集まりだとおもってたのに、振り返るとちゃんと思い出が出来てて、一緒に騒げるやつも悩みを相談できるやつも真剣に話し合えるやつも出来て、わたしにとってサークルっていうのがちゃんと大切になってて

そりゃあ全く違うところで育ってきたからオマエどうしたって思うこととかあるし、ノリが合わないとかつまんないとか自分ムリしてるなとか感じることもあるし、曲が無いとサークル来てる意味ないでしょ馬鹿じゃない?って思う 思うし、こんなサークル辞めてやるよって何度も何度も考えたけど
でもなんか続けてて良かったって4年生になった今絶対思えるからわたしはサークルに入って良かった

同期も先輩も後輩も、出会えて良かったって思ってる どうでもいいほど当たり前なことだけど、ホントに思ってる

何かイベントがある度に6期で良かったとか思うし、上に5期がいて良かったとか、下が7期で良かったとか

こんなこと書くのが卒業じゃなくてこのタイミングなのはなんか、急に思ったからです

新しく入った1年生には楽しい大学生活を送って欲しい、と 今日凄くおもった
2年生も3年生も、出来れば最後の最後の日まで辞めずに、駆け抜けて欲しいなとおもいます

4年生、頑張ろう

もう4年生っていうのがホントに嫌だな
自分に大学1年生のときがあったって、昨日のことのようにって、ホントにそんなかんじで

大学生活は風のように去っていくから怖いな
楽しいことばっかりじゃなかったけど、笑って毎日を過ごせてるのは図らずもサークルのおかげっていうのは少し言い過ぎだけど
ある気がしています 素直に



透明人間/大人 -東京事変