蜂蜜は必ずしも甘くないということ
ブログが楽しすぎてサクサクと馬鹿みたいに更新しているがいつまで続くかわからない と言ったところで誰も見ていないので誰も気にしない
前にツイッタで名前の話をしたことがあった
みなさんご存知無いかもしれないが、わたしの名前は 薫 である
薫なんて日本にゴマンといるのだけど、それぞれの別の薫の人生があるわけだ
わたしは呼ばれ慣れていないからちょっとアレだけど、薫と呼ばれてきた今までの人生と同時並行で、どこかの薫さんも名前を呼ばれて生きている
わたしはわたしで、某K谷氏率いるゲスの極みなんちゃらの歌じゃないけど、私以外私じゃないのということなのである
それでも、わたしの友人たちの間で「オビ」といったらわたしだろうとおもう
共通認識として、福生出身の、中学の、高校の、大学の、サークルの人達にとっての「オビ」
わたしがわたしであるためには、周りがわたしを認識してくれていることが大切なんじゃないかなとおもう
ツイッタでオビをエゴサすると不思議な気持ちになる
世の中はオビで溢れている
オビなんて珍しい名字だから誰しもがわたしのことを名字で呼ぶけど、姉もまた同様である
近い例で済ますと、姉の友人にとってのオビはわたしではなく姉だ
名前はわたしだけのものなのにわたしだけのものじゃない
難しい
だからある意味で言うとキラキラネームとやらは案外いいのかもしれないけどわたしは心愛(ここあ)とか七音(どれみ)じゃなくてよかったと心底おもうし渋い可愛いヨボヨボのおばあちゃんになりたい
しかしホントにキラキラネームを付ける親は馬鹿なのかとおもう
子供が一生その名前を背負うって考えたらまず黄熊(ぷう)なんて名前付けないだろう
ちいちゃいうちはまだ可愛さが先行するからいいとして、地獄なのは小4くらいからの人生である
まずその子のイメージカラーが黄色に確定、ディズニーのお土産は毎回プーさんのハニーハントの出口直結のお店でしか買われずに誕生日プレゼントもとりあえずあの黄色い熊のグッズを買っておけばいいか、しまいには蜂蜜までくれる友人が現れる始末だ
大学を卒業して社会人、名刺に黄熊という文字が刻まれる 世の中に自分の名前をばら撒く
「あの先輩、下の名前なんていうの?」
「ぷうって言うらしいよ(笑)やばくない?(笑)」
「なにそれうけるwwwww 超キラキラネームじゃんwwww」
「超やばいよねwwwww あっ先輩、お疲れ様です(笑)疲れてないですか?甘いもの摂るといいらしいですよ、ハチミツとか(笑)」
「〜〜〜〜ッッッwwwwwww バカ、やめなってwwwwww」
地獄絵図である
病院だって、アナウンスの人がぷうに反応して勝手に名字を熊野に変換するかもしれない
ザワザワする待合室でひとり立ち上がるぷうに刺さる視線は小籔のツッコミより鋭いだろう
想像しただけで鳥肌が立つ
わたしは薫でよかった
そう思うばかりである
私以外私じゃないの/両成敗 -ゲスの極み乙女。