閏日の
4年に1度巡り来る2月の29日、なんとも言えない特別感のわりに休みでもないので日常生活の延長線上にこっそりと位置していて可愛い
そもそも自分の誕生日〜〜〜という日が毎年やってこないというのは、心境的にいかがなものだろう
今日が終われば2月の29日はまた4年後、28日しかない3年間がまたやってくるのである
どのタイミングでおめでとうと言うのが一番正しいのだろうか
28日のうちは、まだ立ち込める前日感にやられ、次の日はもう3月(3月になってしまうと全くの別物感が半端じゃない)
4年に1度の誕生日も悪くないけど、祝う側も祝われる側も少し困るな 毎年ある誕生日で良かった
4年前の今日はまだ高校2年生 I坂さんとN川が映画館に事変解散ライブを観に行っていたなア
I坂さんには東京事変のライブDVDを誕生日にプレゼントしたのを覚えているが、女王蜂のアルバムにするか迷った記憶がある(女王蜂のアルバムにしなくて本当に良かった)
誕生日プレゼントというのは、実に良いものだ
最近日常化しすぎて忘れているが、誕生日プレゼントは、要は「生まれてきてくれてありがとうこれあげるね」ということだ
しかし大学生、彼氏彼女に財布と時計をあげておけばいいという風潮、良くないよ、良くない、と思ってはいるんだけどいかんせん彼氏がいないので理想論を語るのみになってしまってイマイチ説得力が無い
プレゼントっていうのは、考える時間から選ぶ時間、渡す前にわくわくしてる時間と相手に渡すまでの時間を含めての壮大なプロジェクトであるとわたしは思うわけで
あの子はどういう趣味だったかしら、何が欲しいって言ってたかしら、色は、形は、そういうことをね、考える時間、選ぶ時間
あげる方も渡す方もわくわくするのがプレゼントであるとおもう
生まれてきてくれてありがとうを伝えられるのは幸せなことだ
あとはもうこの歳になると、物も嬉しいけど心のこもった手紙も嬉しい
前も書いたな、書いたけど、わたしは手紙推奨派だから、何度でも言うけど、手紙ってとってもいい
口では言えないこともたくさんあるな
普段こう思ってるとか、好きだとか、大切だとか、仲良くしたいだとか、文字に起こすってのはなんて便利なツールなんだ、と
中学生の時は休み時間のたびに友達に手紙を書いて、紺の制服の両ポケットを手紙でいっぱいにして、にまにましながら誇らしげに歩いたものだけど、今はもうインターネットが普及して廃れてしまったのかな
高校生になったら一丁前に中学生の時のことは馬鹿にしてたけど、案外良かったかもなアとぼんやりおもう
言いたいことを言うようにしてるつもりだけど、なんだかんだ本当に言いたいことが言えないでいることが多い
それに、言いたいことを言っていればみんな幸せになるわけでもない
秘すれば花という言葉、母がよく言うのだけど、言わないほうが美しいこともあるということだ 難しい
このあいだ友人と喧嘩になって、お互いに大きい声で言いたいことを言って、当たり散らして息切らしていたんだけどインストの空気に触れた途端喧嘩も終息、良かった
良かったけど、いつの時代も喧嘩ってのはくだらないことばっかりだ
もう立派な大人だし喧嘩しないで器用に生きていける子も周りにたくさんいるけど、わたしは喧嘩っ早いところがあるからなかなか難しい
喧嘩も含めて、相手に何か言いづらいことを言うということは、現状をぶち壊したいからなんだろうとおもう
いまのこの場面を、いつもの景色を変えたいって、そういうことなんじゃないの
言ってかないと
いいことも、悪いことも
シーズンサヨナラ/スポーツ -東京事変