変わることも違うことも悪いことじゃない

外はぴゅうぴゅう風が吹いて、雲はどこかに吹き飛ばされてしまった

薄くて青い空は、夏よりも手が届かない

 

冬は寒くて嫌いだけど、空気が冷たくて綺麗だね

 

みんなが春からの行き先を決めてちょっとずつ前に進む中で、これから先も変わらないと思っていたものさえも変わっていくよ

ずっとこのまま、なんて無理か

当たり前がこのままも変わらないように、頑なにこだわってみたりしてね

 

サカナクションの山口一郎さんが前に言ってた言葉、格好良かったな

「変わらないように、変わる」

 

人間、ずっと変わらないなんて無理なんだよな

変わらないってことは、同じことをずっと、同じものをずっとってことだ

でも時間は過ぎるし、季節は変わるし、物も考えもどんどん古くなるでしょう

飽きるんだよ おんなじは

 

飽きるっていうのは一番怖いよ どうにもならないから

物ならいいけど人だとな、飽きられた方はなんにも出来ないし、飽きさせないように一生手を尽くし続けるのも疲れちゃうし

好きとか会いたいとか、そういう気持ちは継続的に持っていけないものなのかしら

当たり前に一緒にいるようになるとそれが当たり前になって、慣れてきて、新しい気持ちが湧かなくなって

ちょっとのドキドキ感とか、ハラハラ感とか、そういうのを随所に散りばめないと、同じ人とずっと一緒に居るなんてことも叶わないなんてね

 

自分の根っこが変わらないように、上手く世界に擬態しながら生きて、変わらない部分を大切にあっためていくの

それがその人らしさの部分、大切な部分

 

自分が今まで生きてきた中のどの部分で構成されてるのかなんてわかんないけど、ちっちゃい時観てたテレビ番組だったり、お父さんに怒られたこと、車で流れてたカセットテープの曲とか、意識してこなかった何でもないことが自分を作ってる

 

人に勧められたものって、必ずしもドンピシャにハマるとは限らないじゃない

ビビビッと(わあ!なにこれ!こんなの知らなかった!!!最高じゃん!!!)ってなることもあれば、「嫌いじゃないよ」って誤魔化してしまうことも沢山あるし、あるけど、

根本では、自分が良いと思って勧めたものを相手がドンピシャに思わないことが不思議で仕方なかったりするんだよな

(こんなに良いのに?!!!なんで?!!)って

 

単なる押し付けみたくなっちゃうんだけど、この子と一緒に楽しめたらもっと楽しくなるのになア、とか、自分が勧めたものを相手も好きになってくれたら単純にすごく嬉しいから、とか

まあ理由は沢山あるんだけど、なんだろうな、なんでもかんでも勧めるのは違くて、

「あなたが気に入りそうだから勧めました」っていう考えが大事だと思うの

でも好きなもののタイプが似てる子にはなんでもかんでも勧めがちになってしまうから結局ダメだな

 

自分が好きなものと相手の好きなものがちがうことって当たり前なんだよな 違う人間だし

世の中にはAKBが好きな人も居ればジャニーズを好きな人もいるし、ジャズ、パンク、クラシック、それぞれ好きなものはバラバラで、わたしが邦楽のロックばっかり聴いてるからって世の中からジャズやパンクが無くなるわけじゃないんだよ

それは需要があるからで、わたしが好きじゃなくても他の人がジャズやパンクを好きだからそこにある

わたしがサーフィンをしなくても、世の中の誰か、えっと、イケメンのK井さんがサーフィンをするからサーフィンは無くならない

 

当たり前のことだけど、改めて考えると凄いんだよ

なんであるんだろうって思うものでも、無くならないのは他の人が必要としてるからなんだよ

 

自分が知らないこと、やったことないこと、死ぬまでにどれくらい知れるだろう どれくらい興味をもてるだろう

 

あの時誰がが勧めてくれたことに、その時は良さに気づけなくても、あとから(そういえばあいつが良いって言ってたな、ちょっとやってみるか)ってなれればいいな

ハナから否定をすることを癖にしたくないよ

 

Pink Jungle House/fam fam -never young beach

灰のカバーの文庫本

逆境を、笑いに変えられるあなたは天才

逆境を嘆くだけのわたしは凡人か

 

ショッキングな出来事も、生活においての失敗も、不安なことも、つらかったことも、全部話のネタになるでしょう

人に言うことで浄化されることもあるし、気持ちが楽になったりしてね

面白おかしく人に喋ってるうちに、こういうつらいことがあったけどめっちゃうけるよねって、自分の中でもシフト出来れば人はもっと強くなる

 

でも全部が全部を面白い話にする必要はなくて、こういうことがあって、こう思ったんだよって、人に伝えること

日常の機微を発信することをやめたら、人としての感情が死んじゃう気がするな

 

会話の中でもね、この人の言葉が綺麗だなとか、言葉の選び方が面白いなって思う人が沢山いて楽しいよ

耳に残る友人の言葉を使っていくうちに自分の言葉になって、それが伝染して、口癖がうつるのは一緒にいるから、好きだから

湘南乃風の赤飯ことRED RICEさんもね、約束っていうソロ曲でおんなじようなこと言ってたよ(湘南乃風の歌詞は、愛するお前、最高のダチ、親に感謝、昔は悪さしたよな、今握ってるお前の手は絶対に離さないゼってかんじで構成されててブレない)

 

HYとFLOWと湘南乃風ばっかり聴いてた中学時代、髪の毛をボブにするもこけしにしか見えなかった高校時代を共に過ごした同級生と久しぶりに再会、お酒を飲みながら話す機会があった

 

「おまえの言うことはいちいち棘があるなアと思って、高3のとき、あんまり話さないようにしてた」

 

衝撃であった

 

ちょっと待ってよわたしね、今でこそ久しぶりに話すけど、あの当時は結構めちゃくちゃ話しかけてたじゃんって

そういえば高校時代、よく電話をしていた友人にも同じようなことを言われたな

同じグループにいた子にも言われたことあるかも

 

自分で自分の言動を振り返っても、出てくるのは過去に友人に言われた指摘ばかりで、肝心の「棘のある言葉」が出てこない

そりゃそうか、わたしはごく普通の日常会話として棘をばら撒いているのですからね

息をするように口から流れ出す棘はわたしの友人たちを無作為に攻撃して、血だらけになったところにまた、グサグサと、これでもかと、相手を追い込んでいるのかと

 

怖くなった

 

何人かに同じことを言われるってことはね、みんなが感じてるってことだよ

もしかしたら、このあいだ飲んだ友人が知らない間にわたしと距離を置いていたように、知らない間にわたしから離れて行ってしまった友人いるかもしれない

もしかしたら、この先、大好きな友人たちが離れて行ってしまうかもしれない

 

一昨日飲んでからずうっとモヤモヤしていてあんまり物事に集中出来ないし、電車に乗ってても遠くばっかり見てしまうからそろそろ自害ワンチャンある(この件はGoogle先生で「言葉 棘」で検索するくらいガチな話)

 

みんなを傷付けたいわけじゃないの これはホントのホントで

言いたいことばっかり言えてんのも周りのおかげ、だけど、わたしは傷付けてるのね、周りを

 

わたしは変わらなきゃ

 

 

針と棘/×と◯と罪と -RADWIMPS

三つ並びの鉄棒、水色

人ってのはさ、幸せをこれでもかってくらい感じてるときはそれでいっぱいいっぱいになっちゃうんだよ

落ち込んでるときとか悔しいときのほうが色んな表現ができる、と、思う 思いたい

 

幸せな時でもね、どっかしら不安で、この時間はいつか終わっちゃうのかななんて思って、いまいち浸れない、みたいな気持ち

文章を書くにしても、不安要素はどこかに盛り込まないと筆が進まないんだよ そういうのあるじゃんね

 

自分を正当化するなら、毎日は幸せで楽しいことばっかりだよ

お母さんが作ってくれるご飯は毎日美味しいし、友達とのおしゃべりは楽しいし、卒業論文も思ったより楽しく書けてるし、夜な夜な友達から掛かってくる電話も、ブログ書いてる時間も、好きなバンドのライブも、手帳書いてるときも

 

楽しいことに囲まれてるのにどっかに虚無感、ぽっかり空いた穴をどうしよう(恋人がいないと幸せじゃないみたいな世間の風潮がいけないし、しっかりと負い目を感じるわたしは根本的に弱い人間)

 

いろいろ考えたよ

多分わたしは承認欲求の塊だ そのくせ自己肯定感は低い

ああ多分逆だ、自己肯定感が低いから承認欲求が強いのか

 

認めてよ、必要としてよ、大切だって、ずっと仲良くしてねって言って ってな具合にさア、汚い部分だよ、こんなこと言ってるけど、この考えすらも「わかるよ」って言って欲しいみたいな

ここに居れば安心快適最高〜!って場所が欲しいの

 

よくある話だけど、仲良い子にも仲良い子がいるっていうか、仲良しなのはわたしだけじゃないんだなアっていう、小学校の頃のちいちゃいヤキモチみたいなモノが大人になってもあるなんて思ってもみなかった

 

逆上がりの練習を毎日一緒にしてくれたSちゃん、平日も土日も関係なく遊んで、近所のお祭りも運動会も欠かさず一緒に行って、親友ってまさにコレやで………って思ってたんだよ

5年生でクラス替えがあってさ、また一緒のクラスになって嬉しかったけど、グループが違って

給食の準備をしてる時だったかな、SちゃんとおんなじグループのF野が聞いたの

 

「Sちゃんの親友って誰?」

 

ちょっと聞く耳立てちゃったよ

名前が出ると思ったからソワソワしてさ

 

でもSちゃんはおなじグループに居るM田の名前を言って、隣に居たM田も「わたしもSちゃん好きだよ〜!」って言って笑って、みんなで楽しそうで

 

ああそうか、わたしSちゃんの親友じゃなかったのか なるほど

 

なんていう闇エピソードも今となっては…ってかんじだけど文章に直すとめちゃくちゃ暗いな

しかしながらわたしの居場所はSちゃんの隣ではなかったということは紛れも無い事実として証明されたわけであり、こういう経験がちょっとずつ積み重なってトラウマ的事象になっているのかもしれないし、わたしの「こじらせ」を構成しているのかもしれない

 

そもそも親友かどうかって、片側の意見じゃどうにもならないかんじがするじゃない

22歳にもなって「わたしたち親友だよネ☆(ニッコリ)」なんて言い合うもんじゃないし、なんとなくそうかな、それっぽいかも、ってとこで考えをとどめる他ない

親友なんて線引きを作るからなんか格差が生まれんだよ みんな友達だけどこいつとはよく遊ぶし話も合う、でいいじゃない

 

早速引用するのであれば、よく遊ぶ友達のK下が言ってた、(ハア、そうか)と思ったこと

性格の良し悪しと心が綺麗か汚いかって、必ずしも一致しないんだそうな

 

考えてみればそうだよなア

 

ちょっとくらいクズっぽいほうが仲良くなれたり、こぼした愚痴に共感したり、そういうほうが楽しいじゃん

わたしには、超ド級に性格が良いけどもうめちゃくちゃ心が汚い友達がいっぱいいて、楽しくてしょうがないよ 卒業までに沢山みんなと遊びたいなア

 

あのね、好きなバンドのライブの抽選をかけたんです

ライブは4月末、わたしはその頃なにしてるかわかんないけど、今とは違う環境に置かれてることは確かで、怖いけど、楽しみで、ワクワクするね

ライブっていうツールは、学校を卒業しても友達と会える機会を作ってくれて良いな

 

約束があれば頑張れるし楽しみで生きていけるから、その日が終わったら、また次の約束をしたい

 

 

虚言症/勝訴ストリップ -椎名林檎

弱い

嫌いと好きの幅がせまい

いったりきたり、いったりきたり

 

気に入らない態度、言葉、考え、価値観

あんたのこういうとこ嫌い、こういうとこがだめ 嫌い 嫌い

嫌なところっていうのは見つけるのは簡単だし後に引けない

まただ、また またそういう言い方する そうやって突き放す わたしはあんたのそういう冷めてるところが嫌いなの いつもそう いつもいつも

 

嫌でも目につく嫌いなところはどんどんわたしを侵食して、気持ちを真っ黒にして

ああ喋るんじゃなかった 会う前は(今日来てるかな、会ったら何話そうかな、うふふ)とか考えてたのに

ワクワクとかドキドキとか、全部ひっくるめて楽しかったのに

 

じゃあわたしはどうだった?

向こうがわたしの予想してた受け答えと違う受け答えをしてきたとして、それでどうした?何をした?

 

わたしは考えを押し付けるのが得意だ

物事はこうあるべき、こうしてほしい、こうしてよ

わたしの思う「普通」は他の何処の誰の「普通」なの?

 

みんながみんなわたしの考えに賛同してくれるような世の中だなんて思ってもないし、色んな人がいて、色んな価値観と色んな考え方が世の中には沢山あるのが当たり前で 

 

わたしが相手に「こんなことも出来ないの?それが普通でしょ」って言ったところで、なんなんだよって、そりゃあなるよなア………

 

おまえはこう言うと思った!とか、わたしなんか相手の考えとか言葉を決めつける癖があるみたいで、それで何度か失敗をしてて、多分アレだ、相手に期待をしすぎているんだろうな、とおもう

 

期待をしすぎるから、理想の形から外れた時に(アレ?ちがう……………)ってなっちゃうんだ

みんな優しいけど、自分の思い通りになることなんて全然無いなア

 

好きなのに嫌いで、嫌いなのに好きで、それでも好きなのは、もう理屈とかじゃ無い

(ア〜〜〜〜〜もうこいつ無理だわ)っておもった後でも、ちょっと楽しい話が出来ると(やっぱりいい子、、好き、、)ってなったり、(死んでくれ〜〜〜〜)っておもっても結局(ア〜〜楽しい〜〜〜)ってなる人生とかいうクソゲー

 

でもこの(無理かも)って感情が、どんどんどんどん増えて増えて増えて増えて増えていってしまったら、好きな方に戻らなくなってしまいそうでやだ

なんでわたしこいつのこと心底むかつくのに嫌いになれないんだろう悔しいとか、思うこともなくなるのかな

 

なんだかんだで結局切れないし、心の中で自分ルールを決めたところでどっかで崩れて、いいように都合をつけてルールも撤廃?便利だね

後先のこと考えないことなんて出来ないし、寝る前に何も考えないなんてことわたしはない

 

人と上手に生きていきたいよ〜〜〜〜

 

人に合わせるのが苦手なくせに、合わせる癖がある

わたしが何か面白いことを言って楽しませてあげなくては!!!!とか案外凄い思ったりしてるし、この人わたしと居て楽しいのかしらって常にビクビクキョドキョドしながら人と接してる

 

わたしは根が案外真面目で面白くないたちだから、基本的にスペックが低いのつらい

わたしじゃみんなを楽しませられない

 

こういうのを全然感じないで喋れる人、今ざっと数えたら10人も居なかった

わたしはおまえにもおまえにも気を遣ってるよ

ねえみんなそうでしょって、これも決めつけ?嫌になるね

 

これをあの子に言いたいなってことばっかり溜まって、でもわたしなんかが話しかけたところでだるいと思われるだろうなって、ああやだやだ、こうやって言いたい言葉が古くなっていく

 

相手にとってわたしなんか地べたの蟻程度だ

わたしは沢山考えてるけど、向こうは何とも思っちゃいない わたしはただ期待と妄想だけ膨らまして、シュルシュル空気が抜けて帰る日々よ、空っぽでぺったんこ

 

言われた言葉が頭の中を回っては、雨雲みたいな、渦みたいな、もっとこう、混沌としたドス黒いものが心臓のあたりに鎮座して離れない

わたしは好きで居られるの?相手のことも、自分も

 

 

ほんとのところ/color bars -東京事変

空の水槽

電車に乗っている

秋になると人の色味が地味になるね みなさんお疲れのようです

 

塾に通っている子、私立に通ってる制服の子

小学生はさも当たり前のように電車に乗って、たくさん読みなさいよと教えられた本を熱心に読んでいる

 

思えば、初めて1人で電車に乗ったのは中学1年生の時、3つ先の駅にあるショッピングモールまで友達の誕生日プレゼントを買いに行った時だ

 

いつも乗っている筈なのに、お母さんが居ないとこんなに不安になるものなのか

改札を通るのも、来た電車に乗るのも、自分の行動のひとつひとつが合っているのか合ってないのかわからなくなるくらい緊張して、まるで悪いことをしているかのような気分になった

 

わたしはいつから1人でちゃんと電車に乗れるようになったんだろうな

 

1人で出来なかったことは他にも沢山あった

わたしは小学生の時、自分の服を自分で選べなかった

選べなかったから、お母さんがハイハイって出してくれたものを着て、学校に行っていたのだけど、気分じゃないとかこの服嫌いとか、そういうのは一丁前にあって、文句を垂らしながら学校に行った

 

1人で電車に乗って行きたいところに行けること、欲しい服を買って、着たい服を着て、毎日を過ごせるなんてこんな幸せってあるのねって今でこそ思うけど、あの頃着てた制服とかはもう着れないし 決められたもんに嵌って生きていくのも、それはそれで有りだ

 

テレビとかを観ていると、お洒落な人はみんな女優帽をかぶっているな

確かにお洒落で可愛いとは思うのだけどエレガンスすぎて手が出せないし、アレ、一般人には高度じゃないですか?

 

普段帽子はかぶるほうではあるのだけど、庶民の中の庶民的な生活をしているからエレガンスとは全くの無縁で、だって大学にあの女優帽必要なくないですか?なんで大学に行くのに女優帽が要るんですか?みたいな、そういうひしゃげた考えがいけないんだな 固定概念をこう、ね

 

でも帽子っていうのは誰か1人がかぶってるからいいんだよ 同じグループに女優帽は2人要らないし、ニット帽も2人要らない

駆け引きやで………

 

学校が週2なのはすごく嬉しいんだけど、時間を持て余して持て余して仕方ない

やらなきゃいけないことは山ほどあるのに、テレビに昼寝にバイトに大忙しで何も手に付かないし結局直前になってあわあわどうしようってなるのが目に見えてるな

 

9月末、めちゃくちゃに予定を入れて毎日毎日遊び倒してたのに、10月に入った途端まるで予定がなくて、すっからかんの毎日と、課題と電車の時刻表のスクリーンショットしか増えないカメラロールに虚しさを感じている 遊んでほしい

 

こんだけ毎日暇だと携帯も飽きるな

わたしは誰かと話がしたいんだよ

 

そういえば 昔のポルノグラフィティの歌詞とか、昔のBLEACHの台詞とか、句読点とか・とか、そういうのが入ったでしょう

あれ、粋だよなア

歌が歌じゃないかんじ、台詞に命が吹き込まれるかんじ

 

グッとリアルになってすごい

 

あとツイッタでフォローしてるポエマーみたいな人たち、すごく深いこと言っててすごく好きなんだけど、みんなクリープハイプを聴いてる

クリープハイプだけじゃないんだけど、(ああ、この人の考えとか文章とかすごい好きだ)とおもう人たちは基本的におんなじような音楽を聴いてて(そういうことだよな)ってなる

 

そういうことだよな

それだけが全てじゃないけどさ

 

うたかたの日々/凛々フルーツ -アカシック

濡れたバスタオル

8月頭、1年間口をきいてなかった姉と仲直りをした

おばあちゃんのお見舞いに行った時、自然に話が出来て、1年前に盛り上がった話を今更掘り返して笑ったりした

 

お姉ちゃんのツイッタを覗いたら「おばあちゃんのおかげで1年間口をきいてなかった妹といろんな話が出来た おばあちゃんには感謝しきれない」みたいなことが書いてあって、嬉しくてスクショをしたりした

 

おばあちゃんの四十九日の日、ホントにしょうもないことでまた喧嘩して、また口をきかなくなってしまった

 

生まれてこのかたお姉ちゃん同じものを見てきたから、面白いとおもうこととかツッコみたいこととかが一緒で、口をきいてない間もテレビを見て笑うタイミングが一緒だったり、発言が似てたり、(先に言われたクソッ!!)って自重することもあったりして

めんどくせエな、喧嘩ってのは

 

謝る謝らないの問題じゃなくて兄弟の場合はタイミングだから、口をきかないことに慣れてしまうともう取り返しがつかない

 

でも兄弟ってのはどうしても兄弟だから、いくら口をきかなくても繋がりがなくなったりしないじゃない

 

友達やら恋人やらになってくるとそうもいかないよなア

喧嘩して、話をしなくなったら「友達」って言えんのか、「恋人」って言えんのか

 

友達やら恋人やらと喧嘩をした時には、自分の言い分を適度に伝えつつ、相手の言い分も理解して、どうにか折衷案を提案、もしくは折れるか、突き通すか

 

折れ方も実に重要で、「はいはいもういいこっちの負けです」じゃだめだよね

(喧嘩めんどくさ………さっさと折れとこ………)が相手に伝わらないように、上手にシュンとして、笑顔で仲直りまでもっていかなくちゃいけない

 

喧嘩してる時ってイライライライラしてるから、頭に血がのぼって(おまえが悪いでしょ!どう考えても!なんなの!死んで!死んで詫びて!)って思いがちだけど、相手が一方的に悪いなんてことはそうそう無くて、(普段から上手に立ち回って相手に気を遣ったりだとかそういうことが出来てたら、喧嘩も起こんないんだろうなっておもうけど)結局自分も結構悪かったりするから、「おまえも悪かったけどわたしも悪かったから直そう。おわり。」ってかんじだよね

 

イライラしたときとか(死んでくれ〜〜〜)ってめちゃくちゃ思うけど、いざ死なれると絶対むりだし(あの時わたしが死ねなんて思ったから……………)っていうドラマでよくある自責の念に苛まれてわたしも死ぬと思う、メンタルがカバーガラス(※カバーガラスはプレパラートにのせるすぐ割れる四角い薄いガラスのことやで)だからな

 

でも喧嘩って謝りたくないんだよな 悔しいし

負けたかんじするじゃんな、負けたくはないよな

 

わたしは激情型だからイライラにまかせて言い合いとかのほうがやりやすいんだけど、相手が理論派だともうだめね

さらにイライラして、それこそ「もういいよこっちが悪かったやめよう」になってしまう

これは負け

 

いいやつ代表のK林は、喧嘩になる前にスッと身を引いて、喧嘩にならないようにするそうだ

大人だ

 

わたしはつくづく子供だな

考え方から何もかもがさ

 

喧嘩するほど仲が良いなんてよく言うよ、あんなの嘘だよ

お互いを尊重出来てれば喧嘩なんてしないでしょう

 

広い心もなにも持ててないわたしは結局また誰かと喧嘩するんだろうけど、失くしたくないな、いつまでも繋がっていたいな

 

 

ニセ彼女/雲をも摑む民 -ポルノグラフィティ

歩くスピードを上げた

日が短くなった

だんだん寒くなってきた

 

歩いてるとふわっと金木犀の香りがして、秋のにおいだと嬉しくなって、同時に少し寂しい

 

毎年夏の終わりにはフジファブリック若者のすべてを聴いて、夏休み楽しかった………むり………ってなりながら夏に幕を降ろすのが恒例行事なのに、今年は9月いっぱい夏休みだったおかげで9月末にはもう金木犀の香りがして、まだ夏を終わらせてないのにどうしよう、赤黄色の金木犀(これもフジファブリック)を聴かなくちゃ、でもまだ若者のすべて聴いてないし、ってことはまだ秋じゃないし、でも世間は秋?秋なの?秋なの?あわあわあわ

ってなって結構本当に(つら………)ってなった

 

音楽と共に季節を、景色を、歩きたい

こういう時はこういうの聴いてるって友達から聞くだけで楽しい

あとわたしは雨の日は絶対Ame(B)を聴いてる

 

つら………っていうの日常的に言ってるからいいことが起こらないのかもしれないなアって、ようやく思ってきた

 

T瀬がなんかずっと言ってたな、「言霊ってあるから!!!」

 

弱音とか愚痴とかって、意識してなくても口からポンポン出てきて、わたしを錆びさせていく気がする

汚い錆が固まって、どんどん動けなくなって、周りに人も寄らなくなって

 

前向きな言葉は言おう言おうってしてやっと言えるのに、おかしい

友達を励ますことより自分を励ますことのが難しいの なんでだろうね

 

いつもやだなア、と思うんだけど、わたしは顔にも態度にも(つまんない)とか(イライラする)がすぐに出るから、その時に衝動的に言ったこととかが相手の心に残って、向こうにも嫌な思いをさせてしまう

昔っから

 

今日の心理学の授業で友人の長所を書き出してみようっていうワークがあった時に、こんなに癇に障るやつ他にいないし、ちょっといいところを考えてみようとおもって、会うと後悔するあいつを思い浮かべてつらつらと長所を書いてみたら、あれよあれよとたくさん出てきた

なんだかんだ好きなのかなとか、でもむかつくなとか、いろんな感情が出てきた

性格の合う合わないってどうやってわかるんだろう

 

こないだ友達に、なんでわたしと仲良くしてくれるのっていうクソメンヘラな質問をしてみたら、「楽なんじゃない?」って答えが返ってきた

楽ちんなのかア

 

楽ちんっていうのは、双方向でなくてはならないよ

片っぽが一緒にいて疲れてたら、それは楽ちんじゃないもんね

 

昔からよく、空気に色があったらきっとゴミの周りはムラサキで、オナラは黄色に見えるんだろうなと思ってたけど、楽ちんのバロメーターがひとりひとりに付いてたらいいのになア、でもやだな、本当を知るのは

 

わたしと一緒にいてたのしいと思ってくれてる人だけ近くにいてほしい

 

好きが似てるより嫌いが似てたほうが上手くいくっていうの、本当かしら

でも好きも似てればもっと楽しいよね

 

最近はカラオケでaikoのシャッターを入れて、切りすぎた前髪〜〜〜〜って歌って親近感を感じるのがたのしい

カラオケでaikoを歌う女は無条件に可愛いし、したたかだな

そういう女になりたいから仲宗根泉が降臨している場合ではないし、椎名林檎に寄せたところで色気は出ないし

 

今日T本に「夏休みホント楽しそうで羨ましかった」って言われてありがとうございますとおもった たのしかったです

わたし、大学生になっていつからか笑顔至上主義になってしまって、なんか大丈夫かしら

自分でも病気かもしれないと思ってきた

 

やっぱり、楽しそうだなって感じるのって、笑ってる時だなって

わたしも楽しい時は笑うし、楽しくない時は笑わないけど、でも、友達と遊んだら楽しいから、楽しかったって思い出はやっぱり笑ってたいなアっておもう

 

赤黄色の金木犀/フジファブリック -フジファブリック