価値観の相違ってやっぱり結構重要視されるべきトピックだとおもうんだよ

飲み屋から出たら大粒の雨が地面に打ち付けていた

電車に乗ったら平日のくせにいやに混んでいて、ギュウギュウの車内でツイッタを見て、インスタグラムを見て、こんなに沢山人が居るのに、入ってくる周りの情報はiPhoneの小さい画面と雨に濡れる窓からの景色と

雨の日にイヤホンをして歩くと、雨の程度に気付けない 殻に閉じこもって周りを見れない大人になっている気がする
イヤホンを外した途端に世間の音がバタバタ聞こえて、日常を感じる

言い方をアレするとお手軽な現実逃避
イヤホンは自分から世間をシャットアウトする便利な道具だな これからも使うけど

話は雨に戻る
雨っていうのは果たして本当に悪いお天気なのだろうか、ということ

確かに雨は傘持ってかなきゃいけなくて邪魔だし、外で遊べないし、駅まで歩いていかなきゃいけないし、面倒臭いって思うのはそりゃ当たり前のことで だからって悪者扱いするのはちょっと可哀想かなと

晴れの日のことを良いお天気っていうけど、日照りが続けば恵みの雨が待ち遠しいときもあるってことで、なんていうか裏を返せば、みたいな、そういうことで

あひるの空ではマグミが「雨の日の試合は負けたことがないんすよ」ってジンクスを信じてたり 逆にトビのひざが痛かったり

良いも悪いも人それぞれ 自分が正しいと思ってることが他の人にとっては違ったり
それを世間は価値観の相違って言うんだろうか

例えばわたしは遅刻とかは結構許せないタイプで、でも友人は絶対遅刻してくるし、みたいな
自分がもうちょっと緩く物事を考えられたら楽なんだろうけど、わたしはぐるぐる面倒臭いことを考えるのが得意だから困る

でも、多分それはイヤホンをしてる状態なんだっておもって つまり外界の情報を遮断して、自分のことしか考えられない状態というか何というか
自分がただの善悪で物事を判断してしまっているなら申し訳ない

時間に関しては待ち合わせの時間を守るほうが絶対に良いし正しいと思うけど、遅れた理由がきちんとしてるならちゃんと聞かないといけないし

友達の声もなんも聞けないかんじになってるならそれはわたしが間違ってるから、そういう人間にはなりたくない とおもうんだけど話が難しいかな

正しいことよりも間違ってるとおもうことが同じ人と仲良くするほうが何事も上手くいくんでしょうね

わたしはこれはこうデショ!それはそっちが正しいデショ!みたいな、ガッチリした枠にはまってるタイプなので柔軟に生きたい

柔軟に生きたいって言ってる時点で柔軟に生きれてる人よりスタートが遅い わたしはここから山を登るのだ



群青日和/教育 -東京事変